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空き家を活用して新しい価値をつくる

住宅政策の変遷

生活の基本は衣食住と言われていますが、意外と住宅のことって知られてないことが多いと思います。今回は特に戦後の住宅政策の変遷を見ていきます。参考にしたのはNHKテキストの「住まいをよむ」です。

三鷹駅前第一市街地住宅(1963年竣工):2024年3月撮影

三鷹駅前第一市街地住宅(1963年竣工):2024年3月撮影

戦後〜1960年代末まで

終戦直後は400万戸以上の住宅不足でした。そのため、住宅不足の解消がこの時期の住宅政策の重大なミッションでした。1950年代になると高度経済成長を成し遂げ、所得が上がり、核家族を中心とする中間層が増えていきます。

中間層が持ち家を取得することを目指すために、住宅供給の三本柱である住宅金融公庫法、公営住宅法、日本住宅公団法がそれぞれ制定され、戦後の住宅政策の基礎ができます。

大量の住宅を建設することで経済効果を生み出し、戦後復興の一翼を担いました。持ち家建設を支えたのは政府がバックアップする低金利の住宅金融公庫ローンでした。そして、この時期の持ち家の主流は戸建てでした。

三鷹駅南口では再開発事業が進行中:2024年3月撮影

1970年代初頭〜1990年代半ばまで

持ち家政策の促進が金融化を伴ってさらに促進されていきます(住宅金融公庫融資を中心とする住宅ローンが中心)。団塊の世代(1947〜1949年生まれ)が一斉に結婚する時期と重なり、住宅の需要が非常に高まったのです。

1973年の新築建設戸数は年間200万戸近くで史上最高になリマス。核家族×持ち家=マイホーム主義、という価値観が広がったのはこの頃です。

一方で、1973年と1979年の二度のオイルショックや、1980年代には金融緩和によるバブル経済、1995年には阪神淡路大震災が発生するなど、激しい景気変動が起こります。そのため、景気対策としての住宅政策という側面は色濃くなっていきます。

新築建設に伴って家具や家電など生活必需品が売れて、大きな経済効果を生み出し景気対策になる、という意図が政府にあったのでした。

これからの住宅政策とは:2024年3月撮影

これからの住宅政策とは:2024年3月撮影

1990年代半ば〜今日まで

人口減少、高齢化による世帯数の減少と住宅需要の減少、住宅の供給数が世帯数を超え空き家が増加、住宅供給の民営化(住宅供給の三本柱の解体、官から民へという新自由主義思想、住宅ローンの市場化)のが広がる中、あるべき住宅政策とはどのようなものでしょうか。

バブル崩壊やリーマンショックなど不安定な経済情勢が続く中、低所得者や単身者向けの賃貸住宅に関する住宅政策はほとんどありませんでした。一方で、民間資本により都心や湾岸にタワマン(超高層マンション)が林立するようにきってきました。

今後は、老朽化するマンションの維持管理や大規模修繕、建て替えの他、空き家対策や住宅セーフティネットなど、住宅を巡る新たな課題を解決する住宅政策が必要です。