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持ち家取得促進政策の踏襲が空き家を増やす

敗戦直後に持ち家率が上がった背景

1941年に当時の厚生省が24都市を対象として実施した大都市住宅調査によると持ち家率は22.3%。つまり戦前の住まいの大半は賃貸住宅でした。しかし、1948年に当時の総理府が実施した住宅調査によると持ち家率は24都市平均で41.3%に、全国平均では67.0%に上昇しました。

敗戦直後に持ち家率が上がった背景は、戦災によって大量の賃貸住宅が滅失したことが大きいです。経済混乱や激しいインフレにより賃貸住宅の再建は難しく、住まいを必要とする人たちの多くは急ごしらえのバラック持ち家の自力建設を消極的に選ばざるをえない状況でした。

また、政策・制度上の要因も大きく影響しました。第1に1946年公布・施行された地代家賃統制令により地代と家賃の値上げが規制され、地主や家主にとって賃貸住宅経営のインセンティブが消失したことです*1。第2に同年公布・施行された財産税法により個人の全財産に対し大規模な課税が実施され、多くの賃貸住宅が借家人に払い下げられ持ち家に転換したことです。

敗戦直後の住宅不足は約420万戸。1948年の全国の住宅総戸数は1391万戸です。圧倒的な住宅不足の状況の中、多くの人が住まいを確保するために緊急的に持ち家の自力建設を急いだこと、政策・制度により住まいの所有形態を持ち家中心に結果的に誘導させたことにより賃貸住宅セクターの再生は進みませんでした。その後、持ち家率は現代まで約60%で推移し続けています。

住宅政策≒持ち家取得の促進

個人の持ち家取得のために長期・固定・低利の住宅ローンを供給した住宅金融公庫(2007年廃止、現在は住宅金融支援機構)、主に大都市地域の中間層へ集合住宅団地を開発した日本住宅公団(1981年解散、現在は都市再生機構)、自治体が国庫補助を得て低所得者へ割安な家賃で提供する公営住宅*2の3つが戦後住宅政策の柱となりました。

人口増加、人口構成の若さ、経済成長、安定した雇用と収入などといった諸条件を前提に、戦後の住宅政策は中間層に対する持ち家取得を促進する政策を重視していきました。

住宅政策は、住宅供給の「三本柱」を中心手段とし、所得階層ごとに異なる手段を用意する階層別供給の体系を構成した。しかし、その実態を知るには、どの階層にどの程度の資源が振り向けられたのかをみる必要がある。住宅政策は、より低位の階層により多くの支援を割り当てるのではなく、階層ごとに均等に援助を配分することもなく、中間層向け持ち家促進に重点を置いた。
「マイホームの彼方に〜住宅政策の戦後史をどう読むか〜」P.76

1954年〜72年の高度経済成長期には毎年約10%の経済成長により中間層は拡大し持ち家取得が可能な世帯が増えていきました。1974年〜85年の安定成長期は高度経済成長期に比べて人口・世帯の増加幅が減少するとともに経済も不安定になっていきました。

住宅建設五箇年計画における公的資金による住宅建設の計画戸数のうち、住宅金融公庫住宅が占める割合は第1期(1966〜70年度)40.0%、第2期(71〜75年度)35.7%、第3期(76〜80年度)54.3%、第4期(81〜85年度)62.9%まで上昇し、第4期以降は約60〜70%の水準で推移していきました。住宅政策の三本柱の中で特に住宅金融公庫の役割は大きく、住宅政策≒持ち家取得の促進という状況が人為的に作られていきました。

住宅建設五箇年計画の達成率(計画戸数に対する実績戸数の割合)を見ても公営住宅の達成率は6期を除いて軒並み100%を下回っていますが、公庫住宅の達成率は住宅政策が縮小し始めた8期を除いて全て100%を上回っています。計画の中で公共賃貸住宅よりも持ち家である公庫住宅を重視していたことがわかります。

住宅需要を掘り起こすために住宅ローン供給を拡大

持ち家取得の主な手段は高度経済成長期は貯蓄でしたが、安定成長期は借金、つまり住宅ローンを組むということに移っていきました。1970年代に入ると住宅金融公庫はより多くの世帯を持ち家取得へと導くために住宅ローンの借入条件を緩和していきます。

1973年に利用条件の一つである収入基準を「当初返済額の7倍以上の収入を持つこと」が5倍以上とすることにより、低所得世帯も住宅ローンを組みやすくなりました。1974年には返済方法を元金均等方式から元利均等方式とすることで、返済当初の負担軽減につながりました。

また、民間金融機関による住宅ローンは1960年代後半から増え始め、安定成長期に入るとさらに拡大していきます。

この時期にめざされたのは、住宅ローンの大量供給によって住宅需要を掘り起こし、住宅建設のボリュームを維持または拡大する方向であった。マイホームに対する需要とは、「生まれる」だけではなく、金融の力を使って「生みだす」ものとなった。
「マイホームの彼方に〜住宅政策の戦後史をどう読むか〜」P.138

住宅金融公庫による住宅ローン供給を拡大する政策の根拠の一つとして、住宅建設が大規模な景気波及効果を持つという考え方があります。当時の建設省が1975年に作成した「建設部門分析用産業連関表」によると住宅建設の生産誘発係数は木造で2.11、RCで2.12としています。確かに住宅関連の仕事をしている会社や従業員は多いですし、持ち家を購入すれば大型家電や家具なども付随して購入することになりがちです。

しかし長引くデフレや実感なき景気回復により可処分所得が下がり続け*3、住宅ローンの経済的負担は年々重くなっています。住宅・宅地資産額も年々目減りしています*4。経済、働き方などが目まぐるしく変化を続けている中、年収の何倍もの住宅ローンを組んで持ち家を購入し安定した消費をして経済を回していく、という想定はもはや耐用年数を過ぎています。

住宅不足は解消されたが住宅ローン供給の拡大は続いた

敗戦直後は相当な住宅不足でしたが安定成長期に差しかかる頃にはだいぶ充足されてくるようになってきました。全国の住宅数は1968年に世帯数を超え、73年には全ての都道府県で住宅数が世帯数より多くなりました。この頃から空き家率が上がり始めます。

一方で1972年に住宅取得控除制度が創設され、一定条件を満たす新築住宅について住宅ローンを使ったかどうかにかかわらず小規模な税額控除が認められるようになりました。いわゆる「住宅ローン減税」です。

住宅ローン供給の拡大により住宅価格が押し上がり持ち家取得がより困難になっていきます。それにも関わらず住宅ローン供給をさらに拡大する政策が実施されてきました。こうしたサイクルの果てに住宅バブルの発生と崩壊をにつながりました。

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従来の住宅政策は縮小するも「フラット35」や「住宅ローン減税」は残る 

バブル崩壊後は新自由主義の影響の下、住宅政策は縮小し市場化が進んでいきました。住宅金融公庫は2002年から段階的に住宅ローン供給を縮小し2007年に廃止され、後継の住宅金融支援機構は直接融資の対象を民間住宅ローンを組むことが難しい人たちに絞るようになりました。日本住宅公団は最終的に2004年に都市再生機構へと転換し分譲住宅事業からの撤退、賃貸住宅の新規建設を原則として取りやめるなど、業務の中心を市街地での再開発支援や賃貸住宅ストックの管理に縮小していきました。

住宅金融公庫の廃止によって民間金融機関による個人向け住宅ローンの貸出残高は急増していきます。一方で住宅金融支援機構は住宅ローン証券化事業に取り組み、民間金融機関と提携して提供する最長35年の全期間固定金利の住宅ローン「フラット35」を開発しました。持ち家取得促進の政策として現在はこのフラット35と、所得逆進性の性質を持つ住宅ローン減税が残っています。

日本では新自由主義の政策改革のもとで、住宅ローンを市場化し、持ち家経済を刺激する政策がとられた。しかし、人口の高齢化は住宅需要を減少させ、経済停滞は住宅購入を困難にする。住宅金融システムの自由化にもかかわらず、成長後の人口・経済条件は、「負の需要」を拡大し、住宅ローン市場の成長を抑制した。逆にいえば、人口・経済がポスト成長の段階に入ったにもかかわらず、住宅ローンの自由化によって、その市場規模が保たれたという見方がありえる。
「マイホームの彼方に〜住宅政策の戦後史をどう読むか〜」P.211

まとめ

敗戦直後における約420万戸の住宅不足という課題に対して、戦後の住宅政策は住宅金融公庫による住宅ローン供給を中心に政策的に持ち家取得を促進してきました。当時は単純に住宅需要が不足していたためどんどん住宅供給をしていくということは理にかなっていました(持ち家ではなく戦前と同じように賃貸住宅を供給する方向でも良かったはずだが)。しかし、1970年ごろになると高度経済成長は終わり、全国の総世帯数に対する総住宅数も充足するようになりました。

それではそろそろ持ち家取得の促進もブレーキをかけると思いきやそうはならず、むしろ景気対策としての持ち家取得の促進が繰り返されていきます。2018年住宅・土地統計調査によると全国の空き家数は848万9千戸、空き家率は13.6%と過去最高です。前回の記事でも書きましたが空き家の増加はそれはそれで問題ですが、より本質的な問題は空き家を生み出す社会構造の方です。約14.5%にとどまっている既存(中古)住宅の流通シェアを上げていく(持ち家が循環していく仕組みや流れ、住宅文化をつくる)、低家賃の公共賃貸住宅をつくる(低所得者の住まいを支える)、質の高い賃貸住宅の市場拡大(子育てに耐えられる広さや性能の賃貸住宅を増やす)などが今後の住宅政策と住宅市場において重要だと考えています。

*1:Wikipediaによると、戦前から戦後にかけて住まいの所有形態の比率の大半が賃貸住宅から持ち家に移った一因は地代家賃統制令にある、としている。

*2:当初の公営住宅は産業や経済の復興に役立つ人たちの住まいを確保する手段とされた。セーフティネット、社会福祉の一環として捉えられるようになりだしのは1955年に日本住宅公団が設立され高度成長によって増加した中流サラリーマン世帯に対する住宅供給を公団住宅が担うようになってから。

*3:住宅ローンを返済している世帯の1ヶ月あたり可処分所得(平均値)は、1994年48万5617円、99年49万572円、2014年42万4725円へ減少している。「マイホームの彼方に〜住宅政策の戦後史をどう読むか〜」P.271

*4:住宅・宅地評価額(平均値)は1994年4402万円から2014年2450万円に大きく減少し、1989年に778万円であった住宅・宅地のための負債現在高(平均値)は、2014年には1600万円まで増大した。「マイホームの彼方に〜住宅政策の戦後史をどう読むか〜」P.275