ビッグイシューオンラインのこちらの記事。人口減少が特にデフォルトな地方では空き家の増加はそのまま街の魅力の低下とかそういう生易しいものでなく、街の消滅に直結すると思います。これ、大袈裟に言っているのではなく真面目に。
日本ほど、不動産所有権が大事にされる国はない。人口減少モードでは、ある程度の制限が必要だ:人口減少社会における地域の方向性を考える (#G1 より) : BIG ISSUE ONLINE
街の新陳代謝が進まない
街も生き物と一緒で、人の流れが新陳代謝していかないと持続していかないですよね。ずっと空き家のまま(所有者の認識とのギャップ有り)なので土地と建物が有効活用されず新しい事業や店舗、サービスが生まれる機会を潰してしまっています。または、老朽化して近隣に悪影響をおよぼすような空き家がいつまでも放置されることで近隣住民の生活の質を下げているのみならず、地域全体の価値を下げてしまっています。
古川元佐賀県知事「一度、特措法を使ってまっさらにしても良い」 富山和彦「日本ほど、不動産所有権を大事にされる国はない。公共に非常に影響するにも関わらず。こんな国はない。人口減少モードだと、問題しかないので、不動産所有権はある程度制限していかないといけない。」 #G1
— 駒崎弘樹:Hiroki Komazaki (@Hiroki_Komazaki) 2015, 3月 21
不動産は公共性を伴う
憲法で”私有財産は不可侵”だと規定されていますが、これはあくまでも”部分最適”で”木を見て森を見ず”なんですね。私有財産は保障されているけど、他人の財産を傷つけたり社会全体にとってのマイナスにつながったりする場合は制限されるのは共同体の原理とも言えます。つまりミクロな視点で個々人の私有財産は保障されていますが同時に、多様な人たちが住み働き遊ぶ街や社会を持続可能に発展させていくという”全体最適”のマクロな視点もバランス良く使いこなしていくことが重要です。
短期的にはプラスでも長期的には負債となる
これ以上新築を建てたり(都心の一等地や再開発地域は除く)、空き家(多くは”空き家もどき”)の放置を許していると、経済波及効果もあるし空き家所有者の「権利」も守られるし、短期的にはプラスです。しかし、90年代頃から人口オーナス期に入って超高齢社会へと突き進んでいく中において無秩序な新築住宅建設やそれを誘導する政策、空き家の放置を黙認する政策スタンスは”近視眼的で未来への見通しを欠いていた”と将来、反省すべき歴史として振り返られることになるでしょう。
そもそも人口減少に向かっている日本でこれ以上新築住宅に固執する政策はナンセンスすぎる。例えそれが短期的にはプラスだとしても、長い目で見れば効率的な政策でないことは明らかです。
既得権益化した不動産所有権に制限を
人口減少時代に、これまで通り空き家であってもガッチリ私有財産として保障するだなんて本末転倒も甚だしいです。なんのために権利を保障しているのか、という話です。新しい人や事業、サービスの循環を妨げてたり、近隣住民の生活の質や街全体の価値を下げている空き家は活用や撤去といった”流動化促進”を政策的に行っていく必要があります。そこで不動産コンサルタントの長嶋修さんは「空き家課税」の提案をされています。
(過去記事参照:「空き家課税」で空き家活用を促進)
「空き家課税」については以前はぼくも慎重な考えでしたが、正直もう時間が無い。そんなに悠長にしている時間が無いと思います。長嶋さんの提案を具体化するなり、空き家課税を採用しているイギリスに学ぶなり、実際に行動に移していかないとヤバいレベルにあるんじゃないかと思います。
以前のブログに「空室税」を導入すべきだと書きました。つまり、空室で放置していると、課税されるというものです。長嶋修さんの著書「空き家」が蝕む日本にもも同様に空き家に課税するという案がありましたが、全くもって同意です。
当事者の時代
「空き家問題なんて個人の問題じゃん」という考えは想像力が不足しています。空き家が増えて新陳代謝の進まない街はますます寂れ暮らしづらくなるなど、長い目で見ると個人の問題へとつながってきます。佐々木俊尚さん風に言うと現代は「当事者の時代」です。情報社会の発達は誰もが「当事者」として社会と接続せざるを得ない。ソーシャルとは切っても切れない関係になっているのだと思います。
ネットは、誰でも「評論家」になれる一方で、誰でも「当事者」になってしまいやすい世の中をつくりだしています。
もう「そんな面倒なら、自分は当事者なんかには、なりたくない」と言って逃げ切れる時代ではないのでしょう。
「シルバー民主主義」を克服する
そしてコトが前進しない原因に「シルバー民主主義」の問題があります。選挙に行くのも人口が多いのも高齢者。となるとこの世代の意向が政策に反映されやすい。”民主主義は多数決ではない”はずですが結果的にそう見えてしまいます。これからの未来への投資を行うことは”現状維持”との闘いという側面も持っています。